プロフィール
私は、昭和30年(1955年)に、行田市⾧野中斉に生まれました。老本幼稚園に入園し、
その後、東小学校、⾧野中学校を経て、群馬県前橋市にある国立群馬高等専門学校土木工学科
(第10期生)に進みました。
通学は不可能でしたので、中学卒業と共に寮生活に入りました。
寮には、群馬県北部(沼田市や中之条町)や遠くは⾧野県から入寮した学生もいて、うっすらと
それぞれの県民性を意識するようになりました。
4年生(高専は5年制です。)の夏に、5年間で高校3年と大学4年分の学業を終了させるという高専の制度に違和感を感じ、高専を中退しました。
私は寮を出て東京にアパートを借り、アルバイト生活を始めました。お金を貯めて、
アメリカの大学に入学しようと考えたのです。
21歳の6月、羽田から飛行機に乗り、サンフランシスコに着きました。目的の大学はシカゴにありましたので、サンフランシスコの隣、オークランドからアムトラックという大陸横断鉄道に乗り、シカゴに入りました。約50時間の鉄路でした。入学したい旨を伝えると、「今すぐ入学金を払えば OK だ。」と言われましたが、それは、私の所持金では到底足らず、1週間ほどシカゴに滞在して考えた末、大学入学はあきらめ、グレイハウンドバスでのアメリカ縦断旅行に切り替えました。
ニューヨークを始め、様々な都市を訪れました。夜にバスに乗り、朝には次のまちに着く、という旅でした。1977年の12月、半年ぶりに日本に帰り、また東京でアルバイト生活を始めました。25歳で縁が有り、結婚と同時にまた行田に戻って来ました。
その後25年間、熊谷市の内装材料を扱う商社でサラリーマン生活を経験し、内装仕上げ工事業として、平成19年に独立起業して、現在に至ります。